地球の裏側でうんこ漏らした
地球の裏側でうんこ漏らした
Ele foi divulgada a merda
21歳、日本男児。
幼少期よりお腹はゆるめ、ストレス性の腹痛なりがち。
高校時代、授業中にトイレに立った回数は数知れず。
そんな私は今、訳あって地球の裏側ブラジルにやってきております。
クリスマスに向けて街は盛り上がり、季節の逆転によって気温は30度を超える。
サンタの真っ赤な帽子を被るオバさんはビキニ姿です。
ブラジルに来てからというもの、何かと不幸続き。
iPhoneを無くし、財布を少年少女に奪われ、もはや失うものは何もないという状況の私ですが、ついに人間としての尊厳まで失う事態に陥りました。
人生で2度目、当然ブラジルでは初めてですが、うんこを漏らしてしまいました。
甲子園の出場校っぽく書くと「佐藤開(8年ぶり2回目)」。
今日はなんだかお腹の調子が悪かった。
たぶん朝に露店で飲んだグアバMixジュースのせいだろう。
僕の胃袋は基本的に海外非対応なので、日本らしくないものを取り込むと腹痛を起こします。
いつにも増してお腹がゆるゆるになり、うんこかと思ってトイレに駆け込んだら迫力のあるオナラだったというクダリをなんども繰り返してました。
本当はホテルで1日安静にしていたかったのですが、私には東京オリンピックを応援するための写真を撮るというミッションがあります。
チョンマゲ頭に和服を着て、写真を撮る。今日のノルマは30枚。
お腹に不安はありましたが、いついかなる時も共に戦い続けてきた我が腹を信じてビーチに繰り出しました。
海岸にはいつにも増して高い波が立っている。メタファー。
「チラ フォト(写真撮らせてくれ)」
5人に声を掛けて1人が写真を撮らせてくれるくらいの割合です。
言語の壁を越えることができず、今日も苦戦していました。
それでもなんとか1時間かけて10枚の写真を撮ることに成功し、よしまだまだこれからと思っていた矢先、
腹痛の波が押し寄せてきました。
おぉぉおおおおおなか痛い痛い痛い…やばい、やばい……ッ
突発的な腹痛になりやすい人は分かると思いますが、腹痛および便意には波があります。
乗り越えることもできるが、やってくるたびに波は強くなっていく。
なんども迫り来るビッグウェーブを乗り越え続ける感覚はもはやサーフィンと同様のスポーツ。
いづれは限界を迎えますが、ある程度の所まではやり過ごすことができます。
3日前にナイフを出されて財布を奪われた私ですが、どう考えても財布を奪われるよりブラジルでうんこ漏らす方がやばい。
僕は目を閉じ、深呼吸をしてこの高波をやり過ごそうとします。
お腹を優しく撫で、心を空っぽにする感覚。
お腹の痛みと強烈な便意から目を背けているといつのまにか波は静まります。
耐えた…。
ここでまずトイレを探すべきでしたが、なぜか写真撮影を再開してしまいました。
「なんかまだいける気がする。」便意あるあるです。
そして10分後に訪れた第二波。
しかもさっきよりもストロング。
(あ、これはけっこうアカンな…。)
もう僕レベルの経験値を積むと、本当にやばい時とやり過ごせるときの違いはわかります。
お腹の中に時限爆弾があって、そのタイマーが見えてる感覚。
僕はトイレを探し始めた。
が、まじでどこにあるのかわからない。
お腹を刺激しないようにゆっくりと、しかし大胆な一歩で砂浜を抜け出し、道に出た。
そして見つけたサンタの真っ赤な帽子を被ったビキニ姿のオバさんに僕は必死にポルトガル語で叫ぶ。
「Be njo…!Be njo…‼︎」
私は冷静さを失っていた。便所の位置を訪ねるポルトガル語を覚えておくべきだった。
しかしなんとかジェスチャーでお腹の限界が近いことを伝えることに成功し、オバさんは指で方向を示してくれた。
異様な剣幕で便所と叫ぶチョンマゲ頭の日本人と、真っ赤なサンタの帽子を被ったビキニのオバさんブラジル人が言葉の壁を越えて意思疎通を図る。そこにグローバル化する社会の縮図を見た。
オバさんに「オブリガード」と感謝の言葉を伝えながら、僕は僕でブリブリをガードしなければと本気で考えておりました。
本当にそろそろ限界を迎えつつあった私は、オバさんが指し示す方向に向かって駆け出す。
しかし焦りは禁物であり、すでにお腹は激しい上下運動を堪えることができないステージに突入している。
体幹をブラさず、下半身の巧みなスライドだけで移動する。
古に伝わる日本古来の走法、ナンバ走りを会得し、その姿は本物の侍。
その実、ただの内股小股歩きである。
しかし進めど進めど、一向にトイレは見えてこない。
漏れそうなとき、1mが1kmくらいの距離に感じる現象。
このあたりから、うんこのことを「うんこさん」と敬称を付けて呼び始めた。
いやいや、まじでブラジルで漏らすのはやばい…そう思ってもなかなかトイレが現れない。
というかそもそもオバさんがトイレを指し示してくれたのかすらも定かではない。
そして3度目の波がやってきた。
今度こそはヤバい、猛烈な便意である。
尻の周辺以外の異様な体温低下と反比例するかのように、心臓の鼓動が早くなる。
あ、もうだめだ。
僕は訳が分からなくなり、なぜか砂浜に戻った。
できることはやったと晴れやかな気分にすらなっていた。
人事を尽くして天命を待つ、そんな心地。
もしかしたら人間は、便意と戦い、うんこをするために生まれてきたのかもしれない。
僕は知っています。
うんこを漏らしたなんていうのは、トイレに出したか、パンツに出したかの違いでしかないことを。
今も世界の反対側では誰かがうんこを漏らしているかもしれないことを。
たくさんの偉大な先人たちもうんこを漏らしてきたことを。
うんこ出そうになって、なぜか元気も出てきました。
どうせみんな他人、明日になればこの地球上の最も遠いところまで飛行機で逃げ出せる。
恥ずかしいことなんてなにもない。
トイレでうんこができることは幸せなことなんだ。
本当は感謝すべきことが、いつの間にか当たり前になってしまああああああああ!!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
昨日うんちしてからグアバMixジュースしかお腹に入れてなかったので、ほとんど出ませんでした。ほぼオナラでした。
それでもちょっとパンツは汚れたし、なんならちょっとズボンも汚れた。
おいパンツ、てめぇ、なんのために履かれてると思ってるんだ。
悲しさに襲われた。
「こんなことのためにクラウドファウンディングでお金を集めたんじゃない…。」
その場をすぐには移動できずに、僕は砂浜に腰を下ろして海を眺めていました。
30分くらい海を眺めていました。
ふと下を見たら僕と同じくらい惨めな人形が横たわっていました。
(どうやったら誰にもバレずに宿に戻れるかなぁ…。)
宿まで400mくらい。
自分で確認することはできないけど、もしかしたら尻が外から見ても汚れているかもしれない。
紺色のズボンを履いてるから大丈夫か…?いや、でも臭うのか…?
そのとき、僕は天才になった。
かのゴキブリも、死を直感するとIQが200を超え、空を飛ぶことを可能とするそうだ。
僕のあれもまさにそれだった。
「チョンマゲのカツラを被ったままホテルに戻ろう。」
今までは恥ずかしいのでチョンマゲはビーチでしか被っていなかった。
「チョンマゲに全ての注意を引きつけよう。」
僕はようやく立ち上がり、座っていた場所には上から砂をかけて宿に向かった。
狙い通り、通り過ぎる人々の視線はチョンマゲに集まる。
チョンマゲありがとう、オブリガード。
ブリブリガード、オブリガード。
宿に着いたとき、僕はちょっとだけ泣いていました。
あぁ、ブラジルもいよいよ最終日だ。
ブラジル4日目にしてiPhoneも財布も失った。
『ブラジルは日本より危ない』
ブラジルにきて5日目。滞在予定は8日間。
困った、めちゃくちゃ日本に帰りたい。
昨日、財布を奪われた。
朝からリオのセントロ地区(旧市街)を歩き続け、
豪華絢爛なカトリックの修道院や
港に立ち並ぶ巨大なグラフィティアートを見て回った。
最後はリオの大聖堂を見てから部屋に戻ろう。それで今日は1日大満足だ。
そんなことを考えながら歩いていた。
そしてハッとした。あぁ、いつのまにか油断していた。
嫌な予感がする、さっき横を通り過ぎた少年少女が近づいてくる。
少年ひとり、少女ふたり。歳は中学生くらい。
彼らは僕の背後で「テレフォン テレフォン テレフォン…」と連呼する。
声がどんどん近づいてくる。
「いやテレフォン無いわww2日目に砂浜に落としたわww傷口えぐんなww」と心の中で叫んだ。
(iPhoneを落とす10秒前に撮った写真。ここで座って休憩していて、立ち上がった時にポケットから滑り落ちたんだと思う。気づいてから探しに戻ったが見つからなかった)
「テレフォン テレフォン テレフォン…」
少年は僕の心の傷をえぐり続ける。
そして少年は僕の前を塞ぎ、テレフォンと言いながら僕の左ポケットに手を入れた。
そこは一昨日までのテレフォンの指定席、今はなにもない。
それでも少年は「テレフォン テレフォン」と連呼する。
少年は僕がテレフォンを砂浜に落として無くしたことを知らない。
すると何やら少年は左手にナイフを持っているではないか。
刃渡6センチくらいの、果物を切るのに向いてそうな小さなナイフ。
こ、これはインターネットで予習したやつだ…。
こんなときのために財布を盗られるシミュレーションを頭の中で何度も繰り返していた僕は、まったく抵抗することもなく自ら右ポケットに入れていた財布を差し出した。
高校生のときから使い続けている、ジャスコで3000円で買った安い財布。
チャックは壊れているが、まだ半年くらいは使えそうな財布。
財布との思い出が走馬灯のように蘇った。
僕と財布とのたくさんの思い出を受け取ると、少年たちは走り去っていった。
財布を盗られてから30秒後に警察とすれ違った。
もうちょっと早く来いよ~って思った。
財布にはブラジル通貨70R$(3000円くらい)と、日本円3000円と、Suica500円チャージ済が入っていた。
ズボンとパンツの間に2万円とパスポート隠していたのが幸いした。
ホテルに置いていた分もいれて、残金は日本円で6万円。
R$に換金しなければならないのだが、換金所までホテルから7kmもある。
バスに乗れば4R$(200円くらい)なのに、1R$も手元にない…。
歩くのは怖いので、今からちょんまげ(予備も入れて2つ持ってきていた!)を5R$で買ってもらえないか、同じホテルに泊まっている人たちに交渉してきます。英語、上手に喋れるかなぁ。
ブラジルに向かう機内で20時間も暇を持て余したので自己分析してみた。
『ブラジルに向かう機内で20時間も暇を持て余したので自己分析してみた。』
耳につくほどの送風音と、何語とも分からないような言葉が飛び交う飛行機。その中でもいちばん安い席に座っている僕は、数分後に控えた離陸までの時間をまるで意味のないものかのように過ごしている。
薄暗い機内の中、僕は3列シートの1席を指定されて腰をかけたが、隣には誰も座らない。機内を見渡しても空席が乗客の数倍はある。
この旅でなにが得られるか分からない。ただ、なにかを得てくることは分かっている。
まだ形にはならない、曖昧な期待だけを求めて僕は地球の反対側へ飛び立つ。
3ヶ月前、僕はブラジルへ行くためのお金をくださいと言った。
親ではなく、これまでの人生で関わってきた多くの人たちに対して。
その作戦が上手くいき、ブラジルに行くために必要な航空券代や宿泊費をすべて、募金だけで集めることができた。
そして今日、遂に旅が始まった。
忙しさからあまり入念な準備も計画もできておらず、不安は大きい。
ビザ申請を直前まで忘れていて、なんとか出発日に間に合わせてもらえるように頼んだ。
ネットで「ブラジル 危険」と検索して記事を読むたびに不安が募っていった。
成田空港が東京でなく千葉にあることも初めて知った。
出発前に安眠用のアイマスクを買って持ち込んだが、機内で支給された。
最後の食事にはきつねうどんを選んだ。
今回の旅を実現したクラウドファウンディングの企画は、多くの友人たちがシェアしてくれたことにより閲覧数は1万人を超えた。そして実際に37名の方から資金提供していただき、実現可能な金額が集まった。
「卒業旅行にいくお金をください。」なんと我が儘なお願いだろうか。
どうしても「クラウドファウンディングで卒業旅行に行く」というアイデアを実行してみたかったのだ。それも国内旅行じゃ面白くない。どうせ行くのなら日本からいちばん遠いブラジルに。
この企画に最終日の追い込みで15万円のお金が集まっていくのをオンライン上で見届けてくれた友人や後輩は僕に対して「行動力がある学生」というラベルを付けたかもしれない。
だが、僕自身の捉え方では「行動力がないのに、実行したいことがあるから、仕方なく泣きながら挑戦している」そんな感じだ。
そんな感じなのだが、それでも行動することは僕にとってすごく重要で、大学生活を満足度の高いものに変えてくれたのはいつも挑戦したときだった。
僕にとっての挑戦は「『好奇心』と『恐怖心』を戦わせながら行動をする」って解釈できるのかなぁと思う。
僕の行動は別に行動力によって実行されているわけではなく、「あぁこのままの自分じゃダメだ行動しなきゃ…!」という前向きな恐怖心と「これやってみたらどうなるんだろう…やってみたい…!」という好奇心の2パターン。ただ、実際にはそれが行動に繋がらないことが多かった。
僕は昔から「失敗が怖くて何もできない」という恐怖心が大きく、それはそのままコンプレックスでもあった。
小さい頃から、成功よりも失敗することを恐れて何に対しても全力になれなかった。
小学生の頃から勉強がそこそこ得意で、九九を覚えるのもクラスでいちばん早かったし、中学生になってからもどれだけ授業中に寝ていてもテストで学年順位1桁以外を取ったことはなかった。
ただそこには「真面目にやったなら失敗してはいけない」という悪いプライドが染みついていて、何に取り組むにも恐怖心が上回った。
失敗するのが怖いから、できることしかやらなかった。
中学の先生も高校の先生も、最初は僕に期待して生徒会をやらせてみたり、クラス長をやらせたがった。でも僕がぜんぜん頑張らないから、先生たちは僕を頑張らせようとしなくなった。
努力したらできるんだろうなと思っていたことも、それで失敗したらと考えると1歩目が踏み出せなかった。
僕は「努力してないのにそこそこできるやつ」という位置を保ち続けた。それはそこそこ格好よかったけど、「努力してるやつ」にはぜんぜん歯が立たなくて、嫉妬心ばかり大きく抱いていた。
「努力できることが才能」とよく言うけど、これは本当にその通りだと思っていて、僕の一番の弱点で。僕は自分の子供ができたらどんなに失敗してもいいから、挑戦して努力できる子になってほしいと思う。
僕はそれが苦手で、失敗によって自分を否定するのが怖かった。
こういうのを「優等生症候群」というらしい。僕は別に特別に頭が良かったわけではないが、家庭環境や学校内での学業、友人関係の相対的な立ち位置などいろんな環境が相まって、「失敗への恐れ」が自分を縛り付けていた。
中学、高校生のときは特に、叶わない理想ばかりが積み重なっていたのを覚えている。
今でも叶わない理想はたくさんあるけど、昔と今で違うのは、理想に向けて行動を起こせるようになったこと。
僕は大学生になって、かなりマシになった、たぶん。
大きな変化は2年生の夏かな。
なにかに挑戦し、努力していないと、本当に時間がつまらなくすぎていくことがわかった。
高校生の頃は部活が楽しくて、一生懸命やっていたから楽しかった。
バスケットボール部のおかげで本当に楽しい3年間だった。
でも大学では部活にも入らなかったし、サークルにもあまり行かなかった。かといってアルバイトを一生懸命やったわけでもなく、勉強に打ち込んだわけでもなかった。
大学に入ってから、僕は何もしていなかった。
頑張る対象をなくした大学1年生の僕は、それでも毎日を楽しく過ごしていた。ボーリングもカラオケも、県外に旅行もよく行った。仲のいい友人たちと行った5日間の沖縄旅行なんか最高だった。
でもそれは、とても楽しいけど充実していない変な時間だった。「楽しい」と「幸せ」は似ているようで異なるエネルギー。大学2年生になる頃から、何もしていない生活に居心地が悪くなっていった。
おい、俺。
残りの3年間をこんなふうにして過ごすのか?大学生活の宝物は見つかりそうか?
4年間もいて、なにを自信持って語れるようになるんだ?
今の過ごし方は最高の過ごし方か?
かなり悩んで、よくわかんなくなって、迷走した挙句に南の島国フィジー諸島へ短期留学したりもした。
自分が全力で打ち込めるものを見つけられなかった僕は、この大学が悪いんだと言ってケチをつけて、関係のないことまで全部を新大という環境のせいにした。一人の友人にしか言ってなかったけど退学や編入も考えた。面白い友達がいないから、面白い授業がないから、面白い教授がいないから。なんでも周りのせいにしようとしていた。
でもある先輩が、海外留学中に雷に打たれたような価値観の変わる経験をし、それをきっかけに大学生活が変わったという話を聞いて、じゃあ僕も外国にいけば何か変わるんじゃないかと期待していた。
ただ、僕はこのフィジーで過ごす1ヶ月間をバカンスに費やしてしまった。「ビーチは遊び場でなく、鑑賞物だ」と認識を改めるほどのエメラルドグリーンに透き通った海や、海岸に並ぶヤシの木の美しさ。また初対面なのにノリノリで話しかけてくる陽気な現地人たち。遊ぶのが楽しくなってしまって、バスケをしたりお店の留守番をしたり、まるでこれまでの大学生活みたいな楽しさを満喫してしまった。
雷に打たれるような価値観の変わる経験は得られず、1ヶ月で得たものは多少の語学力と異文化体験をしたという満足感、失ったものは100円の床屋でインド人に切らせた髪の毛。
おい、なにも変わらないじゃないか。
お金も時間も使ったのに、ちっとも大学生活が良くならないじゃないか。
そんな怒りが3日間くらい続いてから、4日目くらいに思った。
環境に甘える自分自身が問題じゃないか。自分が自分をつまらなくしているだけじゃないか。
当初の期待とは違ったけれど、この1ヶ月間を終えてみて、そんなことに気付くことができたのが救いだった。
それからは、今までなら断っていたであろう依頼も、思いついたけど実行していなかったアイデアも全部、まずやってみることにした。(この頃から副作用として「頼まれたら断れない病」の発症も始まる。)
所属はしていたものの熱心に活動していなかった文化祭実行委員会で委員長を務めることになったり、新大生が充実した大学生活を送るための総合情報サイトを作ろうとしてみたり、就活で一度落とされた会社の社長に直談判して再度チャンスをもらってまた落とされたり、挙句にはまだ自分が就活生の身にも関わらず後輩たちへの就活支援団体なるものを立ち上げてしまったり。
そしてまた、このクラウドファウンディングで卒業旅行資金を集めるという企画であったり。
大学生活のV字回復ができつつある。
「あぁ嫌だなぁ怖いなぁ、でもやってみたいなぁ」というふうに恐怖心と好奇心を戦わせて挑戦するたび、視野が1°広がったり、視座が1cm高くなったりする気がする。そうすると、またやってみたいことが生まれてくる。
今まで頭の中にあった届かない壁が徐々に低く見えてくる。そのうち壁の外側が見えたら、怖いけどたぶん壁の外側に出てみたくなる。もしそこに行く手を阻む「他者の目」とか「失敗の恐怖」という巨人がいれば駆逐するしかない。もしそこに意図的に批判し、潰そうとしてくる奇行種の巨人がいれば、やはり駆逐するしかない。
壁の内側にいて保身と失敗を恐れる憲兵団よりも、僕はリヴァイ隊長のような調査兵団員になりたい。そっちのほうがかっこいい。
いつも新しいことを始めるときは不安と緊張で胸が詰まるし、人前で話すときは未だに心臓のピッチが3倍速くらいになって歯がカチカチする。
それでも毎回、通り過ぎてみればやってよかったなと思うことばかりである。
もしなにかに挑戦してみたいけど踏み出せなかったり、大学生活に物足りなさを感じている人がいたら話を聞いて背中を押すくらいはできると思うし、なにに挑戦したらいいのか分からないとかだったらCANSという僕の後輩がやっている素晴らしい学生団体がメンバーを募集しているので紹介します。
大学生活4年間を終えて後輩たちに残せるものは多くないけど、エンカレ含めてあと3ヶ月は後輩たちのために時間を使っていきたいのう。
以上、かなり長くなってしまったし、かなり恥ずかしいところまでさらけ出して書きましたが、僕の行動に付帯する感情はこんな感じです。
そのほか、自己分析の観点でいくと「堅実に何かをやるよりも斬新なアイデアで目立ちたい」という性格はどの時期に、なにをきっかけに醸成されていったのかは深ぼらなければいけないところかなぁと。あとは「どんな理想に向かって行動しているか」「その理想はなぜ抱くようになったか」とかも。自己分析って考えなきゃいけないことが多くて大変だ。
就活生はエンカレで面談という方法を通して自己分析の手伝いをしているので、いつでも使ってください。
質問の繰り返しによって掘れるところまで掘り進めましょう。
さて、30時間のフライトを終えてそろそろブラジルに到着です。
1週間、全力で楽しんできまーす!
文化祭みたいな空間
将来きっと文化祭を作るような仕事がしたいなと思わせてくれたのは、文化祭を作る経験でした。(ソノマンマ)
大学1年生で文化祭実行委員会に入って、大学2年生までは「つまらない!」と組織への文句ばっかり言いながら暇な時だけ活動に参加する不真面目メンバー。
準備が一番いそがしい時期にフィジーに1ヶ月間の留学に行ったりするひどいやつ。
それがなぜか大学3年では実行委員長になって、1年間ずっと文化祭のことばっかり考え続けて、大学4年では頑張る後輩たちを見守るオッサンに。そんでついさっき4回目の文化祭が終わりました。
実行委員長になったのは、当時この委員会を凄くつまらないなと思っていたからで、「もっとみんなが楽しく本気で準備できる委員会にしよう!」と思って、つまんないと思ってたところを色々いじってみた。
後輩たちに「この委員会に入ってよかった!楽しかった!」って思ってもらいたくて動き回った。
こんとき、あんまりお客さんのことは考えてなかったなぁ。
でも、そうやって苦労して作り上げた文化祭が終わったときに、たくさんのお客さんやサークルで出店していた友達に「楽しかったよありがとう」って言われて、そっちに愛情を注ぐことも大事だなぁってやっと気付けた。
文化祭って「人がいっぱい集まって、集まった人たちがみんな笑顔になってくれるような場所」で「その準備にたくさんの人が関わってるんだけど、準備してる人たちも楽しそうな時間」のことだと思った。
大学の文化祭を作ることはもうないけど、文化祭みたいな場所や時間を作れるような仕事をしたい。
あれか、場所と時間を両方一緒に作ったら、それが空間なんか。なんとなくわかった。
コンセプトからターゲットから、なにからなにまでアホみたいなこと考えて、たくさんの人に協力してもらいながらめちゃくちゃ楽しい空間を増やしたい。
「遊びにこいよ」って自信もって言えるような空間を作りたくて、それができるマンになるためにはどうしたらいいんだろうって考えて、就活で選んだ会社もそんな未来が少しだけ見えたから決めた。
しかもできれば新潟にそんな空間を作れたらいいなと思う。
一旦東京で修行してこよう。
修行して凄いことできるマンになって、帰りたいときに帰ってこれる何者になろうか。
大学最後の文化祭が終わって思ったこと、まとめ。
新大のマリオと呼ばれた日
僕にはこれまで1度だけ、インターネット上で世間の皆様からボコボコに叩かれ、挙句には個人情報を2chで晒し上げられたことがあります。
それは僕が『新大のマリオ』と呼ばれるようになった日のことでした。
今から3年前、僕が大学1年生の6月。
もうなんていうか、この写真で察してほしい。
赤と緑の兄弟が六法書とゲームキューブを持って講義を受けている。
3年前にTwitterで2万リツイート以上され、なんとYahoo!トップページでも紹介された「新潟大学の講義にマリオとルイージいるんだけど(笑) 」というツイート。
このマリオが僕です。新潟大学人社棟E160講義室。
当時、この写真がバズって「大学の講義にこんな格好で出席するなんて非常識だ!」とネット上でかなり叩かれました。
ちょうどバカッターという言葉が流行った頃でした。
ネットから拾える僕の個人情報は2chで晒され、僕は実名名指しで総叩きされていました。
あの頃はたしかに大学に入ったばかりで浮き足立っていたし、若気もずいぶん至ってた。
でも、この件に関しては今でも反省してはいないし、当時も反省する必要がなかった。
あの日、マリオの格好をして講義室に入って行った時、僕らは先に来て授業の準備をしていた同級生たちに感嘆と拍手で迎え入れられた。
「本当にやってきたんか!」「よくやったな!」
驚きとか喜びとか、尊敬とか、いろんな表情があった。
だって実はこの日、僕らは全力で変な格好をして講義室にやってくることを期待されていたから。
期待されていたのは僕らだけじゃなくて、この講義に出席する学生全員。
嘘だと思うなら、手前のウサ耳を見てくれ。
3年前の6月の民事法の講義、とても面白くて学生からも人気の高い法学部の教授が言った。
「来週、新大のホームページ用の写真を撮影しにカメラマンが講義室内に来るらしいです。でも僕はそういうの嫌なんですよ。だから皆さん、全力で変な格好をしてきて写真撮影を阻止してください。」
この言葉を聞いて講義室にいた皆んなが思ったんです。
あ、本気でフられてるなって。
教授からの絶妙なセンタリング。
これでゴールを決めなければ男に生まれた意味がない。
僕は講義が終わるとすぐに電車に乗って新潟駅前のサイゼリヤに行き、友人と会議を行いました。
「いちばん講義室にふさわしくない物を持って行こう」
僕らは、講義室に絶対ない物のアイデアを出し、ゲームキューブを持ち込むことに決めました。
「ゲームキューブを持ち込むなら任天堂だし、マリオのコスプレする?」
僕らはすぐにYahooショッピングでマリオとルイージのコスプレを買いました。
そうして着実に準備を進め、作戦決行当日を迎えた。
共犯者のミヤタは僕らが座る、講義室のいっちばん目立つ席をゲームキューブで場所取りしてくれた。
せっかくならツイッターで流そうとカメラマン吉田はいちばん面白く撮れる位置を陣取った。
僕は相棒ナカダと講義室近くのトイレでマリオとルイージの服に着替え、白い手袋を手にはめて講義室に走った。
それでこれ。
カメラマン吉田はすぐにTwitterで投稿。
リツイートとお気に入りの数はまたたくまに増えていった。
100…1000…3000…5000…ついに10000リツイートを超えた。
高速バイブレーションは更に加速し続け、遂にスマホは微振動しながら空に浮かんでいった。
数週間後、大学のホームページが更新された。
その日の講義風景がたくさん使われていたが、赤と緑の姿を探しても見当たらなかった。
ウサ耳も見当たらなかった。
マリオの日以来、多くの友人が声をかけてくれた。
「ウサ耳やばくねw」
ウサ耳に激しく嫉妬した。
2chで自分の個人情報を見つけた。
ネットの怖さを身を持って体感した。
緊張と興奮、歓喜、落胆や恐怖、色んな感情が詰め込まれた面白い1日だったことを今でもよく覚えています。
僕は人とのコミニュケーションに自信が無いから、なんとか目立つことをやって自分を守ろうとしてる。
自分を守る時に、どうせなら一緒に周りの人を楽しませようと思って色んなことを考える。
これがいっつもワンセット。
今やってる「チョンマゲ卒業旅行」もその一つ。
クラウドファウンディングでお金を集めてブラジルに行きますなんて、よくそんな恥ずかしいことできるなと我ながら思う。
でも、それが自分の守り方だから仕方ないこともわかってる。
だったらどうせなら巻き込んで巻き込まれて、一緒に楽しんでいきたい。
挑戦中です。実験中です。調査中です。
温かい目で巻き込まれてくれると嬉しいです。