三日以上の日記が続いたことのない俺が。

大学4年間を振り返るもの。書き手にも読み手にも見返りはない。

日本人であるとか、外国人がいるとか。韓国5日間の記

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僕が日本人として生まれたことにはどんな意味があるのだろう

 

韓国にいる間、ずっと考えていたこと。

困ったことに頭から離れなかった。

 

韓国に着いた時、なによりも最初に、もしかしたら空気を吸うよりも先に『日本と同じだ』と感じた。

建物が一緒。電車の形も一緒。広告の出し方も一緒。

人の手で作られていく物にはもう、驚くほどに違いがない。

 

つまらないな、グローバルスタンダード。

 

外国は遠くて、そして異なるから魅力的なのに、なにもかもが同質化していく。

みんなユニクロみたいな服を着て、スタバみたいなコーヒーを飲んで、トヨタみたいな車にのって、なにからなにまで同じになっていく。

ユニクロで買ったTシャツを着て、スタバのコーヒーを飲みながら思った。

 

まるで日本にいるみたい。

韓国はそんな印象だった。

 

周りの言葉はわからない。

隣の人に話しかけても言葉が通じない。

なんで言葉が通じないんだ、こんなに同じ物に囲まれているのに言葉が違うって異常だ、そんなふうに思った。

 

人工物が同質化していくのなら、違いを感じさせてくれるのはきっと人間自身だろう。

 

韓国人は少し、日本人より気が短いかもしれない。

車の運転が日本人よりも荒かったし、人混みでも迷わずにアクセルを踏む。

バイクに乗るときにノーヘルの人がかなり多かった。え、韓国はノーヘルでもいいのかと思って聞いてみたら、そりゃまぁイリーガルだけど目を瞑る人が多いらしい。

 

食卓に並ぶのは色鮮やかな赤色。

あれは食の火炎放射だ。僕の口の中を燃やし尽くす気だ。

日本で人気の韓国料理、たとえばプルコギとか、ビビンバとか、韓国冷麺とか、それらがどうして人気なのかわかった。

あれらは韓国料理の中でも特に日本人の口に合うんだ。

名前知ってるやつは美味しかったし、名前知らないやつは日本でも食べたいなとは思わなかった。

 

韓国人はキムチとか、レッドペッパー系の辛さには強いけど、ブラックペッパー系の辛さには弱い。

だからあんなに激辛な物を好んで食べているのに、インドカレーとか韓国人はぜんぜん食べない。

 

トイレのウォシュレット、日本では「おしり」なのに、韓国では「洗浄」。

これはまぁ、比較的どうでもいい違いだな。

 

 

日本人は忍耐強いよねと言われた。たしかに僕のお腹はゆるゆるで突然の腹痛によってウンチを漏らしそうになったことが何度もある。だけど、漏らしたことは一度しかない。絶体絶命を乗り越える忍耐強さを誇ってもいいのかもしれない。

 

だけど、だけど日本と韓国なんて微々たる差だ。

そりゃ昔はぜんぜん違ったんだろう。

食事も服も、建物も美的意識も。

でも今なんて、間違い探しをしてるみたいに、ちょこっと文化が違うだけ。

 

韓国人と自分なんて誤差しかない。

たまたま韓国人を韓国人だと認識して、僕を日本人だと認識するだけに違いない。

 

なんで俺は日本人なんだ。

別に嫌なわけではない。

ただ、日本人である必要性を感じないんだよなぁ。

 

 

日本軍人が朝鮮人に強制労働させていた洞窟を見た。

中には鬼のような顔をして朝鮮人を監視する日本軍人の像があった。

あぁ、悪い顔をしているなぁと思った。

洞窟のすぐ隣には慰安婦像があった。

慰安婦像だなぁと思った。

だって、僕には関係ないだろう。

もし僕のひいお祖父ちゃんが韓国人に殺されたなんていう歴史があっても、僕はきっと韓国人を憎まないし、だから君たちも僕を日本人だからといって憎まないでよ。

そんなふうに思った。

 

韓国人の青年に問われた。日本の歴史教育についてどう考えているのか。竹島についてはどう考えているのか、と。

 

別にどうも思っていないよ。

強いて言えば、お互いにどうも思わなくていいと思っているよ、と。

 

韓国人のお爺さんに言われた。私とあなたでは良い関係が築けるのに、国と国では上手くいかないね。

 

本当にそうだねと心の中で答えた。

 

歴史問題については、どれだけ両者が互いに未来建設思考を持って議論できるかが重要だと思う。

過去を怒って、未来を憎むために歴史を学ぶくらいなら、ハッキリ言って歴史なんて学ばないほうがいい。知らないほうが幸せだった、それで済ませちゃえばいい。

歴史を学ぶなら、未来を良くしていくために。

 

 

 

僕は個人として存在しているけど、同時に組織の中にいることを強制されている。

身の回りの友人は選べる。学校も選べる。会社も選べる。

だけど、国籍は選べなかった。自分の国の抱える歴史は選べなかった。

それが勝手に僕のなにかに干渉してくるんだ。

 

僕の周りにはかっこいい大人がたくさんいて、日本の未来を真剣に考えている。

だけど僕にはまだ、日本人として『日本のために、自分にできることを』という気持ちは芽生えてこない。

隣の人のために、それだけで精一杯だったりもする。

スポーツの世界で活躍する日本人をみると嬉しい。

だけど、それはきっと、日本のためじゃなくて、彼らがより身近に感じるからに他ならない。

比較的、日本人選手のほうに勝ってほしいと思っているだけなのかなぁ。

 

 

僕は別に韓国人でもよかったんじゃないか。中国人でもよかったんじゃないか。

なんなら欧米人でもよかったんじゃないか。アフリカ人でもよかったんじゃないか。

 

 

日本人じゃなくてもよかったんじゃないか。

 

 

アイデンティティがない。生まれない。らららら。

アイデンティティがない。生まれない。らららら。

 

 

気付きたいけど、まだなかなか気付けない。

 

 

日本そっくりな韓国に行ってみて、分かったふりをしていた自分が、分かっていなかったことにだけ気付けた。

 

 

 

ひとつだけ、もしかしたら

日本が僕に干渉をしてくるから僕は日本人なんだ。

 

 

教育基本法が改正されて、愛国心を育むことが教育の現場に求められるようになったんだね、知らなかった。

伝統文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」

 

愛国心

 

どうやら僕は日本を愛さなきゃいけないみたい。

少なくとも、これからを担う子供達はそんなふうに教育されていくんだ。

 

僕は、日本の愛し方は人それぞれでいいと思う。

愛するか、愛さないかも人それぞれでいい。

 

でも教育基本法に規定されてしまった。

 

たぶん、学校が教えてくれる国の愛し方には答えがある。

学校はそういう場所で、学校教育はそういうものだから。

それ以外の答えは全部、ペケ。

たぶん僕の愛し方はペケ。

 

 

国は僕にどんな態度を求めるのだろう。

 

やっぱり僕は生まれた国を選べない。

僕は日本に生まれた、それだけが僕の選択肢だ。

だから、日本のこれからは勝手に僕に干渉してくる。

 

僕は韓国人じゃなくて、どうやら日本人でなきゃいけないみたいだ。

 

それなら、日本人をもっと体感しなきゃなぁ。

 

どうやったら日本人をもっと体感できるかなぁ。

 

 

 

あ、そうだ。ブラジルにチョンマゲで行こう。

 

リオから東京へ繋ぐチョンマゲ侍の卒業旅行 - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)